Falling Snow
By Amy LowellTHE SNOW whispers about me,
And my wooden clogs
Leave holes behind me in the snow.
But no one will pass this way
Seeking my footsteps,
And when the temple bell rings again
They will be covered and gone.
I read a poem by Amy Lowell this noon. The poem named “Falling Snow” sounded little but I could reach the atmosphere very well.
And then, an impulse of to translation it into Japanese rose. After words sprawled about paper, I made it.
「誰も通わないこの道で、
雪が囁いてくれた。
後ろに私の足跡がしていた。
その寺の鐘が再び響いたとき、
この跡をも探したくても、
みんなはもう消えていた。」
It’s a fact that I am not good at composing in literary language, but I also want to write something literary-like words sometimes. Therefore, I wrote again; I adapted the poem into haiku and tanka.
In this time, everything seemed more difficult, because I only know little about haiku and tanka. In short, besides, the most basic rhyme of the “5-7-5” in haiku and the “5-7-5-7-7” in tanka, also some seasonal words, I almost know anything about them.
The process I composed this haiku was smooth:
「雪ひらり、
跡をも消して、
寺の鐘。」
To do the thyme of “5-7-5” was easy. But when I turned to rewrite tanka, the trouble came. I had to count the number of words of “5…7…5…7…7…” time and again.
So that’s the tanka I rewrote:
「囁いて
雪も鈴の音
また鳴ると
跡をも隠れ
全てを消して」
I was very happy for I made them. I also knew they were not so much literary, however, the joy continued.
But…
30 minutes after, the counting voice of “5-7-5-7-7” was still haunting about in my mind.
I had a thought that I was poisoned.
So I opened an English reading book, and I saw this phrase: “get ready for sea”. But what I read out, was another set of words : “get ready for the sea”. Even in the same time, I thought: “Gee! The number is 5! Great!” Though I knew I was wrong instant: “Ah! The phrase was even not Japanese!” Why I counted its words like what I did with haiku or tanka, and also add a “the” into this phrase…oh… what can I say something more about it?
It’s certainly I was poisoned… hem!
But that time, I grinned.
Thinking about the thyme of words, it sounded so great!
That, once again…
5-7-5-7-7…
And then, an impulse of to translation it into Japanese rose. After words sprawled about paper, I made it.
「誰も通わないこの道で、
雪が囁いてくれた。
後ろに私の足跡がしていた。
その寺の鐘が再び響いたとき、
この跡をも探したくても、
みんなはもう消えていた。」
It’s a fact that I am not good at composing in literary language, but I also want to write something literary-like words sometimes. Therefore, I wrote again; I adapted the poem into haiku and tanka.
In this time, everything seemed more difficult, because I only know little about haiku and tanka. In short, besides, the most basic rhyme of the “5-7-5” in haiku and the “5-7-5-7-7” in tanka, also some seasonal words, I almost know anything about them.
The process I composed this haiku was smooth:
「雪ひらり、
跡をも消して、
寺の鐘。」
To do the thyme of “5-7-5” was easy. But when I turned to rewrite tanka, the trouble came. I had to count the number of words of “5…7…5…7…7…” time and again.
So that’s the tanka I rewrote:
「囁いて
雪も鈴の音
また鳴ると
跡をも隠れ
全てを消して」
I was very happy for I made them. I also knew they were not so much literary, however, the joy continued.
But…
30 minutes after, the counting voice of “5-7-5-7-7” was still haunting about in my mind.
I had a thought that I was poisoned.
So I opened an English reading book, and I saw this phrase: “get ready for sea”. But what I read out, was another set of words : “get ready for the sea”. Even in the same time, I thought: “Gee! The number is 5! Great!” Though I knew I was wrong instant: “Ah! The phrase was even not Japanese!” Why I counted its words like what I did with haiku or tanka, and also add a “the” into this phrase…oh… what can I say something more about it?
It’s certainly I was poisoned… hem!
But that time, I grinned.
Thinking about the thyme of words, it sounded so great!
That, once again…
5-7-5-7-7…
真昼、Amy Lowellの詩作「Falling Snow」を読んだ。短い作品だけど、その雰囲気がよく感じられたの。
そして、どこかの衝動が起こしだして、これを訳して見たいことになった。
何度もくすくす書いたり書き直したあとで、これができた:
「誰も通わないこの道で、
雪が囁いてくれた。
後ろに私の足跡がしていた。
その寺の鐘が再び響いたとき、
この跡をも探したくても、
みんなはもう消えていた。」
文学なんて、私にとってはちょっと苦手のは事実だけど。でも、時折、私も何かの美しい文学化のものを書きたいな、という望みが起こられる。という訳で、もう一度、この詩作を俳句と短歌と書き換えた。今度の換えはね、なかなかよくできなかった。だって、俳句にしろ短歌にしろ、私も一番浅きものが知っているだけ。つまり、その基礎としての「韻」、それに少しの季語のものが知っているのだけだ。
俳句にすると、これ。まだまだ順調と言われたの。
「雪ひらり、
跡をも消して、
寺の鐘。」
俳句の「5・7・5」という韻がまだし易かっただけど、短歌になってから、ずっとより難しいことになった。それは5・7・5・7・7など一遍一遍数え繰り返すことになってきたの。で、くすくす書き終わったのは、これだ。
「囁いて
雪も鈴の音
また鳴ると
跡をも隠れ
全てを消して」
ようやく完成してとても嬉しかったの。これを読んでいて、あまり上手じゃないと知っていても、やっぱり嬉しかったのね。
しかし…
後から30分を通じて、その「5・7・5・7・7」という数える声が、ずっと頭にしていた。
何とか毒に侵された気がしたのね。
そのまま、英語の読み本を開けて、ある単語を見た。
「get ready for sea」。たっだ一つ普通の単語だけど、私が読み出したのは「get ready for the sea」になってきた。そして、それを読みながら、心にはまだ「あっ、数は5でよかったね!」と想ったの。でもすぐに分かった、「これ、日本語でもないもん!」。私はこれを俳句や短歌からの「5」と想われたの、それに、まだ「the」を一つ加えた。まったく、私はね…やれやれ…
やっぱり毒に侵されたの。
でも、その一時、私はにこにこ笑った。
言葉の律動、まったくすごいだね!
では、もう一度…
5・7・5・7・7…
そして、どこかの衝動が起こしだして、これを訳して見たいことになった。
何度もくすくす書いたり書き直したあとで、これができた:
「誰も通わないこの道で、
雪が囁いてくれた。
後ろに私の足跡がしていた。
その寺の鐘が再び響いたとき、
この跡をも探したくても、
みんなはもう消えていた。」
文学なんて、私にとってはちょっと苦手のは事実だけど。でも、時折、私も何かの美しい文学化のものを書きたいな、という望みが起こられる。という訳で、もう一度、この詩作を俳句と短歌と書き換えた。今度の換えはね、なかなかよくできなかった。だって、俳句にしろ短歌にしろ、私も一番浅きものが知っているだけ。つまり、その基礎としての「韻」、それに少しの季語のものが知っているのだけだ。
俳句にすると、これ。まだまだ順調と言われたの。
「雪ひらり、
跡をも消して、
寺の鐘。」
俳句の「5・7・5」という韻がまだし易かっただけど、短歌になってから、ずっとより難しいことになった。それは5・7・5・7・7など一遍一遍数え繰り返すことになってきたの。で、くすくす書き終わったのは、これだ。
「囁いて
雪も鈴の音
また鳴ると
跡をも隠れ
全てを消して」
ようやく完成してとても嬉しかったの。これを読んでいて、あまり上手じゃないと知っていても、やっぱり嬉しかったのね。
しかし…
後から30分を通じて、その「5・7・5・7・7」という数える声が、ずっと頭にしていた。
何とか毒に侵された気がしたのね。
そのまま、英語の読み本を開けて、ある単語を見た。
「get ready for sea」。たっだ一つ普通の単語だけど、私が読み出したのは「get ready for the sea」になってきた。そして、それを読みながら、心にはまだ「あっ、数は5でよかったね!」と想ったの。でもすぐに分かった、「これ、日本語でもないもん!」。私はこれを俳句や短歌からの「5」と想われたの、それに、まだ「the」を一つ加えた。まったく、私はね…やれやれ…
やっぱり毒に侵されたの。
でも、その一時、私はにこにこ笑った。
言葉の律動、まったくすごいだね!
では、もう一度…
5・7・5・7・7…